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一人で海水浴に行くおっさんの気持ちは如何ばかりか - フロイドの狂気日記
今年も夏がやってきた。毎年恒例の海水浴、しかも一人。これは僕の夏の儀式だ。行こう行こうと思って昼に起きるを繰り返していたが、ようやく朝起きてバイクに跨がれる日がやってきた。
向かった先は兵庫北部、豊岡にある切浜海水浴場。本当はその隣にある竹野浜海水浴場だったのだが、着いたときにはパーキングが満車で切浜に行けとオッサンに言われた。で、次善策という感じ。この日は完全に失敗だった。その週のカンカン照りの毎日の中で、僕が向かった日は曇だった。大阪も兵庫も曇り。そのため暑くないから悪くないと思っていたが、毎年期待しているあの太陽と青空、入道雲、炭酸、それがなかった。
海のチョイスも失敗した。片道200kmを超えるとすさまじいケツの痛みに襲われる。生きはいいが帰路のケツの痛みときたら拷問のそれ。100kmか150kmぐらいで抑えて、それを超える場合は泊まりじゃないと駄目だということを思い出した。
竹野浜海水浴場はファミリー連れが多く、一通りの施設や温泉まで完備されているそうな。満員なので仕方なしにやってきた切浜海水浴場は商売っ気がなく、海の家は2件だけで、荷物預かり場所もない。駐車場は無駄に高く1000円もした。海の目の前に家が立ち並んでいて、そのうち一軒で弁当を売っていたので食べた。そこで聞くと、人が少ない分ゴミが少なくてこちらの方がキレイだと。普段は波がないけれど今日は高いねという。
海岸はこじんまりとしていて確かにゴミはほとんどないし、波があるから透明度は高くなかったが普段は青い海なんだろうと思わせた。
が、この曇天。なんというか海水浴に来た気がしない。何しているんだあのオッサンは感が5割マシになってしまった。あの青空の下で日に照りつけられるからこそ、ただただ日差しのなかで海水と混ざってただの置物になれる。
手持ち無沙汰で何をすることもなく泳いだり、小さい子どもたちが遊んでいるのを眺めたりしていた。曇天は駄目だ。ついに気づいたのだが、日差しだけがオジサンを許してくれる唯一の存在だったのだ。地平線の青い海と空をぼーっと眺めていられる集中力をくれるのはカンカン照りの太陽だけなのだった。
そう、まだ夏は終わってねえ。