フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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大阪都構想否決、日本の未来は決定づけられた

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あなたが支持するかしないかは別にして、21世紀に入って自民党以外で政治改革の可能性をもたらせた政治家は3人しかいない。

 

小沢一郎橋下徹小池百合子である。

 

その3人が作った改革の機運のうち最後の一つが昨日消えた。

 

小沢一郎は言わずもがな政権交代を成し遂げたが、政権運営に失敗した結果、国民から忘れ去れた。

 

小池百合子希望の党で、もしかしたら将来自民党の最大対抗勢力になるかもしれないとさえ思わせるほど衆院で勝ったが、党運営に失敗して都知事として小さくまとまることになった。

 

橋下徹は大阪を支配する地域政党を立ち上げて自民党勢力を駆逐し国政にも勢力拡大に成功したが、10年以上に渡る闘争の結果、既存システムに大幅な変更を加える改革はついに成し遂げることはできなかった。

 

これが何を意味するのか。それは日本の下方硬直社会で、今後十年以上に渡る自民党保守政権の天下であり、大きな改革の芽はもうないということ。冒頭の3人をもってポピュリストだのと罵る人たちがいるだろうが、改革者は大なり小なりポピュリストである。大衆を巻き込むのだからそういう側面はあるし、そのような避難を恐れては大きい政治勢力にはならない。そして日本では珍しいうねりを作り上げる政治家の候補者はもういない。

 

昨日朝早く、大阪市内に住む僕は大阪都構想賛成を入れてきた。都構想の論点がわからない、などという人たちが多かったようだ。都構想は実のところわかりやすい。シンプルに言えば、大阪維新の会にフリーハンドを渡して大阪地域政治のグランドデザインをさせるかというところだ。結果は否決。

 

維新の会は大阪都構想を最大級の目的にしてきた組織だ。言ってしまえば維新の会の政治家にとって都構想が可決されることが効率的な地方政治改革の最上手段であるということだった。100年以上続いた社会制度の大幅な変更を意味する都構想は5年前よりやや差を広げての否決。

 

はてブを見ると案の定維新嫌いによる罵倒の嵐だ。大阪市民だけではなかろう。はてブで識者気取りのコメントをする人は、維新の失敗が意味することがわかっていない。彼らは何か誠実で吝嗇で紳士的な政治家が、社会的弱者を無制限に保護してくれるのを待っているように見えるが、そんな人は未来永劫でてこないし、大きなうねりを生み出せる人は、ホワイトナイトにはなりえない。どこか欠落していて働き者でパワーある人物だけが大きな政治勢力を作り上げるにいたる。そういう人はだいたい敵を作り嫌われる。維新の失敗は自民党が無難に保守して少しずつ日本を衰退していく様を見守ることの継続なのだ。

 

僕は民進党立憲民主党にさえ投票したことがあるが、何年経っても枝野は地味ないい人止まりで、勢力拡大させるだけの力はなく、関係した有力議員たちも力のない普通の政治家でしかなかった。

 

自民党が勝ち続けるのはできる限りの現状維持に最適解を出し続けるからだ。それを超えるには想像もつかない勢いをもたらす誰かが必要だが、立憲の枝野も令和の山本太郎もそうはならないだろう。小沢一郎橋下徹もそうだったが、機を見るに一気に勢力拡大するのが大きな政治家の条件のようだが、それができる政治家はもう見当たらない。

 

そして勢力拡大ができずドラスティックな提案をしないのなら、自民党が名実ともにもっとも効果的な現状維持勢力だろうと思う。

 

昨晩、決まったのは大阪都構想の是非ではない。日本の未来は、もがくことなくシュリンクしていく、という方向性なのだ。

 

維新の会に改革されるぐらいなら何もしないほうがいいという人たちがいる。彼らは維新のしばき体質を嫌い、住民サービスの質が落ちることを懸念していた。因果が逆だ。しばき体質や福祉の削減は維新のせいではなく、そもそも日本や大阪に金がなくなったから、しばき体質が必要になったのだ。菅政権だって自助だのと言い出しているのは金がないからだ。

 

維新がいようがいまいが、税金は上がり福祉は削減せざるを得ない。税収が下がれば自民党執行部が嫌がろうが官僚が配分を調整するし、それは今までやってきたではないか。

 

むしろ維新の会が目指したところは、大幅な改革によって継続可能な地域社会を作るために模索するというものだったと言える。都構想の失敗で、他の地域が維新の成功や失敗を手本にする可能性さえ消えた。

 

パワハラ維新が消えた!と喜んでいる人たちは勝利していない。これで社会的弱者が守られると思っているなら間違いだ。生活保護や、病気で働けない人たちが今以上に優遇される社会は最初から来ない。

 

むしろ社会的弱者が十分に配慮される社会というのは、維新による地域改革が成功した結果、他の地域がそれぞれ手本や反面教師にしながら改革を続けた先にあったものと言える。

 

自民党による最適な現状維持は、すなわち社会的弱者が切り捨てられる未来にほかならない。彼らはドラスティックな変化をもたらすことはないし、現に年金健康保険の増税と削減、消費税増税、研究予算や生活保護の削減をやってきたじゃないか。

 

対抗勢力はもう見当たらない。地域政治が大阪から各エリアに広がることもない。

 

ブコメを見ると、弱者に優しくない維新への呪詛と軽蔑が多々見られた。もし大阪都構想の敗者がいるとすれば、経済縮小の中、切り捨てられることが確定している社会的弱者じゃないか。

 

生活保護受給者、不安定な雇用者、病弱な人々の運命は決定したんだ。君等の人生はもう切り捨てられる、有能な改革者たちが何とか日本経済を拡大させてそのおこぼれを預かるという可能性すらなくしたのだ。

 

比較的裕福な地域が都構想に賛成して、貧しい地域と高齢者が改革を拒んだ姿は、僕には貧乏人の自殺にしか見えない。まさか維新の権力をそいだら、住民サービスが維持され、弱者への福祉が切られないとでも?それは日本社会において既定路線だ。ドラスティックな改革だけが未来の可能性を残すことができたはずだった。

 

自民党以外の地域政治勢力さえ生み出すことのできない有象無象の自治体は、人が流出して荒廃する未来しかない。もがくだけの力さえないのだから。

 

だから都構想に賛成票を投じた僕が吐く呪詛は、安心して貧しくなれ、ということだけだ。もう改革者はいない。維新の会は既存のシステムの枠組みで小さくまとまっていくだろうが、それが市民の選んだ結果だ。

 

都構想の否決でしばき体質の社会を回避したと思っている人は倒錯している。日本経済の縮小はわかりきっているのだから、都構想の否決はまさしく自立できる人以外は死ぬ社会の確定そのものだ。

 

今後は大きな政治の変化はもう望めないから、各人がそれぞれ自分の人生を守ることを考えなければならない。存分にそれぞれの力を発揮するといい。

 

昨日確実になった自己責任社会を楽しんだらいいのだ。

 

 

■追記

改革という言葉に釣られて小泉竹中を言う人がいるが、ここで挙げたのは自民党の外から勢力を拡大した例として3人の名前をだした。個人的に小池百合子が好きなわけではないが、新興政党で50議席を獲得した結果は、次を狙うに十分な実績だったとは思う。空中分解したが。NHKぶっ壊すや令和に比べれば破格の勢力だっただろう。

 

あとトリクルダウンというより、(自民党外からの)変化の波及を連続させていくことが重要だと思うということを書いたつもりだった。どうやらブコメを見る限り、維新と小泉政権を重ねている人たちが多いようだが、維新と小泉政権は似ていない。大阪市内で住んでりゃあわかるが、彼らは子育て世帯など彼らなりに優遇をするとろもあり、働く若者世代に対してはそれなりに投資している政党である。一方、公務員や生活保護受給者や高齢者には厳しかったと思うが。維新はネオリベグローバリズムではなく、働かざる者食うべからずみたいな思想の政党だと思う。