森氏、会見の舞台裏明かす「辞任する腹決めたが説得で思いとどまった」 - 毎日新聞
森元総理の発言で日本で恒例の総バッシングが始まっている。
文章のうまい人によるここぞとばかり人権アピールが始まり、俄然楽しくなってきた。
年に何度かは体験できるお祭りだ。
ネットの記事を見ると「この保守男性が支配する日本で、またもや女性差別が公然となされた!ゆるすまじ!」と言わんばかりの空気感だが、僕は笑ってしまいそうになる。
「ひゅーっ!日本の様式美、本音と建前も堂に入ってるぜ」
森元総理の発言に人権に敏感な人たちや、女性たちがムカついているのは事実だろう。だが女性差別の解消すべきと思っているかは個人差があり、そして日本人のトータルとしては「女性差別の本質的な解消は望んでいない」方向に傾いているように見える。
そう見える理由は、そもそも日本の女性差別解消ムーブメントの方向性が欧米のそれとは違っているからだ。
欧米によくあるムーブメントは「役割の拡張と多様化」
わかりやすく言えば、女性が男性に取って代わる動きだ。
一方で日本の女性による運動は「コンフォート・ゾーンの拡張」と言えるだろう。
例えば「男女平等ガチ勢」ことスウェーデンでは徴兵制度が復活したが、男女ともに軍隊に入る。そこに不平等はないし反対もない。男がやることは女もやるのだ。それは子育ても同様。そして政治も同様で、クオーター制度が導入され、大臣の半数は女性。この女性の比率を強制的に上げるクオーター制はヨーロッパのいたるところで導入されている。
アメリカの映画記事で目に止まったのは、映画評論家は白人男性が7割で問題であるというもの
映画『Promising Young Woman』性差別レビュー騒動のいきさつとは?【解説】
記事の最後が象徴的だ。
1つ目。女性や低代表グループの批評家は見ていない映画はレビューできません。しかし多くが、認証や、プレススクリーニングへの参加を拒まれています。だからあなたやあなたの知る人がそういったことを管理しているならば、招待や資格が、フリーランスの人を多く含む、そういった低代表グループの人にも行き届くようにしてください。その人たちが私たちの物語を見て、聞いて、書けるように、アクセス権を与えてください。
アーティスト、エージェント、パブリシスト、マーケティングエグゼクティブの方たち。あなた方は、プレスやジャンケット計画をよりインクルーシヴにするという形で貢献できます。ライターのほか、雑誌のフォトグラファーにもより広い層の人材を求めることなどです。『キャプテン・マーベル』の時、ディズニーはこの件で素晴らしいパートナーになってくれました。同じように、Women In Filmも今夜素晴らしいパートナーになってくれています。だから、恐れずにそういった要求をしてください。
2つ目。バランスの取れた批評家集団を作りたいけれど、それが実現できるくらいの数の低代表グループの批評家がいないんだって言う人がきっといるでしょう。そんな人に喜びと共にお知らせします。(アメリカの)ジャーナリズムとコミュニケーションの学士号取得者の41%が白人女性で、22%が有色人種の女性なの。つまり、才能のある人はいるのに、アクセスと機会がないということ。今夏の終わり頃に、映画スタジオやアーティストやアーティストの代理人がより簡単に、低代表グループのエンターテイメント記者や批評家を見つけて連絡を取れるようにするツールがローンチします。記者や批評家がリードしているこの活動がローンチしたとき、これを支援してください。30/30/20/20(※アメリカの人口比)を実現するためのとても簡単な一歩となります(※この取り組み「Time's Up Critical」は2020年にローンチした)。
これが日本と欧米の女性差別解消の方向性の違いということだ。根本的に彼らは社会の立場を男性が独占していると考えていて、その領域を女性が奪うことを主体としていることが多い。
軍は男性のものではない。
映画監督や評論家も男性のものではない。
大統領だって女性がなってもいい。
一方で日本はどうか。
Kutooのようなムーブメントで解消しようとしたのは、女性ばかりが足の痛くなるヒールを履かされているのはおかしいというものだった。他にも痴漢被害軽減のために、女性専用車両を作りましょう、だとか。あるいは、水着が性搾取的デザインだから変更する、というもの。これらは間違いではないが、基本的に「不愉快だから快適にする」という方向性で、例えば女性専用ジムだとか、女性専用カプセルホテルだとかも増えている。育メンという言葉も男女平等の延長で語られるが、それがフォーカスされるのは、女性が楽になりたい、あるいは苦労させられている、という考え方のためである。もちろんこれらもいいことではあるが、一方で男性が担っている役割をぶんどるというムーブメントはほとんど打ち出されていない。そういうアクティブな人をどんどん輩出しようというより、女性であるがために不愉快な目にあった、解決しよう、という方が多い。
未だに自衛隊のほとんどが男性であることに不満などないし、女性もバリバリ稼いで出世してやろう、という人も多くはない。
そういう流れの中で、今回の森元総理の失言の批判がある。
彼がなぜここまで批判されているのか、それは女性差別のためではない。
日本社会の建前を破ったためである。
女性差別をしてはならない、という考え方は日本社会における本音ではないのだ。いつの間にか先進国らしくあるために、そのような発言は控えねばならない、という建前ができ上がった。そして日本では建前をおおっぴらに破ってはならないのだ。だからここまで叩かれている。オリンピックという国際的イベントで、日本の恥を晒した、という批判だ。
なぜ本音ではないと言えるのかは、このバッシングの流れの中で「女性を代表にしよう!」とか「女性の政治家を増やさないからだ!」というムーブメントは起こっていないからだ。彼の失言と資質のなさばかりが批判され、では代わりに女性たちの役割を増やさないといけない、というところまでは盛り上がっていないようだ。アメリカならそうはいかない。トランプという典型的白人ジジイの対抗馬に、女性副大統領をおいたのは間違いなくアメリカ人女性の活動があったからだ。日本ではそういう情勢にはならないと言える。
これは何も今回だけの話ではない。森喜朗は自民党の体現者のような人で、自民の中で彼だけが旧態依然なわけではない。そもそも自民党自体が女性に優しくない政党である。
そのことを日本の女性たちはわかっていないのだろうか?
否、間違いなくわかっている。
理解していて民主党の3年を除いて勝ち続けているのだ。
彼らも自民党が女性に役割を与えようとしていないことは重々承知だし、ちょくちょくレイシズム的発言をすることはあったのだ。それでも選挙で勝ち続けている。
これはLGBTのような少数派とは違う。
女性は50%の投票を占めるので、本当に自民党が嫌いなら彼らは何度も負けるのだ。
ところが日本の女性にとって、レイシストおじさんたちが政治を牛耳っていることに違和感はないし、むしろフィットしているとさえ思っているかもしれない。オリンピックのあれやこれやも自民党の爺さんがたがええようにしてくれ、というのが本音の部分で、そうは言っても建前の「先進国チックな態度」は守ってくれよ、と。
森元総理をクビにして隠居させようする自民党の動きはないようだ。
そして次の選挙で政権交代は多分ない。
多少の影響はありそうだ。
議席は減らすだろうが、それはコロナ対応や経済問題のところが大きいと思う
コロナが終わり経済が上向いたら、森元総理の下で働いてきた自民議員が政権運営を確固たるものにする。
コンフォート・ゾーンは増やしたいけど、男性が担っているハードな仕事はしたくない女性、権力も決定権も男性が握って離したくない男性、さらにはプライドばかり高く先進国として見られたい日本人全体が感じた恥辱、これらのマリアージュ。それが森元総理だけを吊し上げバッシングする世間というものの正体だ。
差別に腹を立てる日本人の女性の多数が政治に女性を送り込むために汗を流すということはしない、ということは特筆すべきだ。
その上で森元総理が犯したのは
「日本人の建前を破り、先進国として見られたい我々のプライドを傷つけた大罪」
と結論づけていいだろう。