フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

PR

フォートナイトで感じる孤独

PR

フォートナイトをやっている。ソロプレイでヴィクトリーロイヤルの経験はない。元はと言えば友達から誘われたからやっていたのだ。最初はハマらなかったけれど、建築が少しできるようになり、エイムがマシになると戦えるのでやる気になる。

 

そうすると自営業で自宅作業、自由時間豊富な僕は不定期にログインしては軽くプレイできるようになる。朝までプレイしたってかまわんのだ。だが誘ってくれた友人たちも普通の生活をしているので当然限度がある。時間が合わないものなのだ。

 

するとどうだ、虚しさがこみ上げる。ソロプレイして黙々と人を撃ち、コロッサルクロップスに潜んでプライマルライフルでヘッドショットを狙っているとき、友人たちは明日の仕事に憂鬱になりながら眠る準備をしたり、子育てに追われているのだ。贅沢な悩みじゃないかとは思うんだけど、みんなが経験している普通を捨てているってことは唐突に孤独に襲われるってことでもある。激戦区に降りて70位とかで終わると、なーにやってんだ、となってアプリを落とす。

 

フォートナイトは課金アイテムがあるけれど性能に影響するわけでなく、アバターのみなので全くの無課金で楽しませてもらっている。それでも世界的に売上があるんだからすごいもんだ。ビジネスとしてはもっともまっとうなやり方で稼いでいる。射幸心を煽るってのがないので安心安全だ。どれだけゲームが安心でもコロナ時代に最適な遊びでも子供の頃みたく無心ではできぬ。そんな大人は多いと思うが、自分もそうなってみると辛みがある。

 

子供の頃はドラクエポケモンを繰り返し何度もクリアしたものだった。遊戯王のカードゲームがあって、ゲーム性もクソもないが、ひたすらデュエルしたこともあった。ラスボスの闇遊戯でさえブルーアイズやレッドアイズを適当に入れて、それを引けたら勝ち確定みたいなゲームだったけれど、気づいたら1000勝ぐらいしていたこともある。戦いながら頭の中で漫画の主人公になってみたいなストーリーを想像していたんだと思う。ゲームに入り込むってことができたんだ。子供ってすげえなあと思う。

 

今となっては恵まれた環境も優れたPCもゲーム機も凝ったグラフィックも意味をなさない。一歩引いてプレイして、終わったら何やってんだ自分は、となる。歳を食うってのはどうしようもないことだと思う。感動も想像力も何もかも捨て去ったかのようだ。人生は無常だ。

 

そうじゃない

そうじゃないぜ

夢中になれるもんを今からでも探せってことさ

それじゃ、プレザント・パークでショットガンぶっ放す作業に戻るね