「フフ......へただなあ、オタクくん。へたっぴさ........!欲望の解放のさせ方がへた....。オタクくんが本当に好きなのは...デカ乳のダスカ......これを同人の抜き絵でチンして....シコシコしてさ......毛布の中でヌキたい......!だろ....?」
「フフ....。だけど......それはあまりに世間体が気になるから....こっちの........どうでもいい馬レースでごまかそうって言うんだ.....。オタクくん、ダメなんだよ......!そういうのが実にダメ....!せっかくエチエチダスカでスカッとしようって時に....その妥協は傷ましすぎる........!そんなんでウマ娘をプレイしてもおもしろくないぞ......!嘘じゃない。かえってストレスがたまる....!ヌケなかったダスカがチラついてさ..........全然スッキリしない....!心の毒は残ったままだ、自分へのご褒美の出し方としちゃ最低さ....!オタクくん.....贅沢ってやつはさ........小出しはダメなんだ........!やる時はきっちりやった方がいい....!それでこそ次のオタクコンテンツの励みになるってもんさ....!違うかい......?」
僕は競馬をしない。競馬をしないのですごい偏見を披露すると、競馬場にいる人とは「すごいヨレヨレの服を着て鉛筆を耳にかけてクシャクシャの新聞片手に虚ろな目でレースをみている初老の人たち」だ。
しかし過去を振り返れば競馬好きには何度かあっていて、まず高校の頃の同級生はその当時から競馬大好き人間だった。10年ほど前に務めていた会社の同僚は馬主であった。馬主といっても、複数の人間で少額ずつ出資して馬主になることができる制度があるそうで、同僚も少額出資して馬主となっていたそうだ。二人とも割と普通の人であり、ワンカップ片手に手を震わせている歯の抜けたギャンブル中毒というわけではない。
競馬が馬に対する極度の虐待とは知られている。調教もレースも品種改良のための種付けも動物にとっては不要な負荷だ。そこで昨今のウマ娘ブームでスポットライトがあたる競馬ファンはどう考えているのだろうと検索してみると
「まごうことなき虐待」
「虐待であることは否定できない」
「虐待を指摘されたら反論できない」
「種付け制限ぐらいはしたほうがいいんじゃないか」
みたいなコメントが出てきて、割と冷静であるようだ。
無理筋の反論をするより諦念に包まれている。
僕としては競馬をすぐになくせと言うつもりはないが、時代遅れの文化として緩やかに消えていくべき、というぐらいの考えである。今より動物の扱いがゆるゆるだった時代から続いている商売なので、なかなかすぐには消せないだろう。
ところがウマ娘ブームに乗っかる人たちのコメントには何というかいけ好かぬ独善性にあふれていて忌々しく思っている。競走馬の魅力を語りだす奴らを見かけると、僕の中のジョジョキャラが「グロ注意!グロ注意!グロ注意!」と警鐘を鳴らす。
例えばウマ娘なんてのは、美少女大好きオタクをターゲットにした昔ながらの美少女ゲームなのだが、美少女ゲームがヒットすると、それらのファンは恥ずかしさから、美少女要素以外の魅力をことさらアピールする傾向がある。これはウマ娘だけではない。ゆるキャンであればソロキャンプの魅力を語り、けいおん!であればバンドや音楽の魅力を語るって具合だ。ウマ娘であれば馬の成長だとか競争だとかをお涙頂戴的解釈で語りだす。お前らの好きなのは馬のダイワスカーレットではなくデカ乳ダスカだろ。
メーカーも露骨にキモオタの財布を狙っているので、牝馬も牡馬も関係なしに美少女に擬人化されている。それぞれ男子女子に擬人化することもできたのに、そうするとやたら生々しくなってチョロオタのビジネスになりそうにないからスルーしたというわけだ。
女キャラのメジロドーベルが、男キャラのスペシャルウィーク、マンハッタンカフェ、ゼンノロブロイ、アグネスタキオン、エルコンドルパサーに種付けされて孕まされるとかいうエロゲ展開にしかならんしな。
競走馬なんてのは人間が娯楽のために馬に無理をさせ改良し利用し続ける資本主義の道具でしかないから、推しウマ娘と現実の競走馬を重ねても美談にならない。むしろ、推し馬のことを大事に思っているほど、現実の負担を考えると罪悪感を覚えるはずだ。さらに言えばウマ娘候補になることもなかった三流競走馬も掃いて捨てるほどいるわけだ。なので、ただのギャンブルのための家畜にすぎない、と開き直っているほうがマシに見える。
それに競馬のシステムが格差社会のそれで腹立たしい。サラブレット購入は一頭で最低1000万以上かかるわけで、金持ちの道楽なのだが、そういった金持ちは引退後のサラブレットの面倒など見ない。知らない間に馬肉になることが多いそうだ。
「引退馬はどこへ行く?」。引退後の競走馬をリトレーニングして命を救い、「第二の人生」を花開く〜吉備高原サラブリトレーニング | JAMMIN(ジャミン)
こういう現実を知ると、ギャンブル中毒の底辺が金持ちの道楽に搾取され、馬も酷使されたあと馬肉になる世界が見えてきて、それでも美少女好きの照れ隠しのために「競走馬の魅力」アピールするんだから地獄の掃き溜めである。競走馬の老後のための寄付なんかもあるそうだが、金持ち馬主が最後まで面倒みろよ、と思う。今どきペットの犬猫でももっと配慮されている。金を生み出す馬の購入者が用済みになったらいいように処分することがシステム化されている競馬みたいなのは、やはり徐々にでも消えるべきだと思う。ところが競馬ファンはJRAが新規客を取り込めないことに怒っていたりするし、ウマ娘がいい機会だ、財布を取り上げろ!と大号令をかけている。
ペットビジネスやスペインの闘牛批判、さらにビーガン思想にいたるまで、動物の命と環境は一昔前とは違っている。おそらく遠い将来に人工肉の完成度が上がれば畜産業は衰退するだろうし、肉を食う僕もそれは正しいと思っている。人間にとって必要だから今の所仕方ないが、科学がそれを完全に代替できるならそれにこしたことはない。
競馬も娯楽としては別に必須のそれではないし、文化としても価値がすごく認められているわけではないだろう。動物虐待付きギャンブルと考えると、規模縮小する努力をすべきだと思う。
ゲーム会社はオタクから金を絞りたいし、オタクは乳と顔だけで釣られたわけじゃないとツイッターでアピールしたいし、JRAと馬主は新規客取り込みで金儲けをしたいし、そのおかげで延々と動物虐待文化が終わらず、ギャンブル中毒が増える、と。
お前らちゃんと動物虐待者の顔をしろ。
虐待されている馬を美少女化してオナネタしている変態だと意識しろ。
馬主は馬を資本主義のおもちゃとして使い捨てにしているガイジだと自覚しろ。
まるでまともな人間みたいなふりをするな。