フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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エコーチェンバーは人気ブクマカが引き起こしている

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はてブを10年は使っていて非表示機能に気づいていなかったというか記憶から抜け落ちていた。エントリは消えているが冒頭の記でその存在を思い出し使うことにした。はてブ中毒でありながら、それを見るとストレスがたまるという矛盾に悩んでいる最中であった。時折イライラしてはてブはオワコン、昔と変わってしまったと嘆いてみせたがこの認識は間違いであった。まあこういうことだ。実ははてブがオワコン、はてなはクソと言っていた原因のほとんどはブクマカにあったのだ。はてブにあがる記事が悪いわけでさえなかった。

まず、トップブコメで見る固定ファンの多そうなブクマカを片っ端から非表示にする。そうすると、今度は暴言や苛ついたコメントが目立つようになるからNGにしていく。次はタグが気になるようになる。一つのブコメに大量のタグをつけて、なんか汚いインスタグラムみたいになっているコメントが可視化される。それらもすべて非表示にする。そうして、次は脳みそが覚えてしまったアイコンをコメントの内容を問わず非表示にしていく。あとは、おなじみのコメント(中止だ中止、判断が遅い!など)をバカの一つ覚えのようにつけてしまうブクマカを消す(どうせ無個性な人々である)。同じようなデータをコピペしているのも消す(データは調べる癖がないと騙されるよ)。こうするとトップブコメが少なくなり、暴言はなくなり、呪詛もほぼなくなった。イライラの原因は一部のトップブクカマカにあったのだ。

 

いくつかの気づきをまとめる

 

 

■エコーチェンバーの原因はトップブクカマカ

冒頭のエントリのコメントでも、エコーチェンバーやタコツボ化を危惧する声がある。だが試してみるといい。むしろエコーチェンバーはトップブクカマカのせいで起こるのだ。理由はわかりやすい。

我々の属性はコロコロ変わるものでない。リーマンは長い間リーマンであり、子持ち主婦は20年ぐらい子持ち主婦であろう。職業とてそう簡単には変わらない。トップブクカマカなどといえば特別に見えるが、平の凡なのだ。特別なコメントを常にできるわけではなく、似たようなブコメばかりを書くことになる。固定化されたブクマカたちは人気コメを専有し、彼らの似たようなコメントで埋められ多様性を失わせるはてな民にありがちな、タイトルだけ見て、人気コメだけチェックするという癖がタコツボ化に拍車をかける。

 

ところがそういった本当は価値のないブコメ互助会が消えると、知らざれる沢山の人達がコメントをしていることに気づく。僕らはいつものメンバーばかりを見てはてなはオワコンとか言っているが、思った以上にコメントやブクマは多いのだ。そしてそういうスターなきブコメたちが、気付きを与えてくれる。

 

はてな村はシティかもしれない

人気エントリを見ればわかる。数十人非表示にしても、まだまだコメント自体はなくならないどころか、これだけ残ってるのか!と驚かされる。コメントしないではてブを本来の機能として使っている人はさらに多い。たしかにスターまみれのコメントは少なくなる。一部ブクマカがトップブコメを専有して、暴言を吐き散らかす人々が我々の目を曇らせているが、実ははてブ利用者ってすごく多いのではないだろうか?

 

 

■普通の日本人を再発見する

ブコメが平和になると、人気コメントよりも新着を見るようになる。そうするとスターは全然つかないけれど、多種多様な意見と、そして温和なコメントがあるということがわかる。トップブコメが減っただけでスターなしブコメはたくさんあるのだ。彼らはいたって普通で、特徴がなく、それでいて多様だった。

ワレ ツイニ フツウノニホンジン ヲ ハッケン セリ

 

■デメリットなどない

自己主張の激しい人たちが、不都合な意見から目を背けるな、という。ちょっと考えてみてほしい。たかだが100文字の意見のなかにそこまで重要なものなんてあるだろうか?コロナの統計をコピペされたって、僕らがやることは変わらないではなかろうか?はたして暴言やイキリ散らかしたコメントに人生の気づきがあるだろうか?ブコメに気づきを得る人は、その他のネットコンテンツに毒されるのではないだろうか?

 

不都合も都合もないのだ。不都合な意見を直視できる人は、もともとブコメなんか見なくたって直視できるだろう。エコーチェンバーによって陰謀論に染まる人はネットを利用する限り遅かれ早かれそうなるだろう。100文字でハッとさせられる人はそれを望んでいる人だ。互助会ブクマカが消えてもきっと良い意見に目を向けられるよ。特徴がないゆえにスターをもらえないコメントに良心がある。彼らは煽らず、イキらず、目立たないが、そこには確かに普通の人々の息遣いがある。そちらを直視する方がより有意義であろうと思う。

 

「不都合な意見を見ろ」という人たちは、自分の意見を過大評価し、偏らせようとしている、と断言できる。自分の意見に注目しろ!という傲慢な主張だ。

そして何より無価値だ。偏りたくなければその分野の専門書をじっくり読むほうがいいに決まっているだろ?ブコメで偏りをなくそうとするほうがクレイジーな選択だ。はてブに人生の重要な何かを見出す必要ない。現実はたくさんの何でもない人たちの集合であり、過剰な装飾コメントをする人は少数派なのだ。僕はもっと早くから、そういう何でもないちゃんとした人たちを見るべきだった!

 

■非表示機能を活用して心健やかに

より中道であろうとする人ばかりがブコメで苦しむことになるのは忍びない。タコツボ化をやめろ、という意見が聞ける人は最初から問題ない。タコツボ化してしまう人は警告など無意味だ。すでに非表示に機能で好まない人を消しているだろう。人気ブクマカは空間に出現したスラム住人みたいなもので、いないにこしたことはない。

 

ブコメには値打ちがないからこそ非表示はフル活用すべきだ。映画や小説、漫画やドラマ、あるいは家族との会話にきっともっと素敵なことを見いだせる。非表示機能を活用すれば、より良い便利で普通の人々によるニュースキュレーションサイトとして素晴らしい体験ができるだろうと思う。

 

おまけにトータルとしてはてブをする時間が減るのだ。ニュースを見て、和やかに雑談をするだけの良いアプリになる。最初からそうだったのだろうけど。

まったくもって、僕は何にイライラしていたんだろうね!

 

***

 

 

内装も提供する魚も酒も旨い居酒屋があった。僕は一人でそこに通い楽しんでいた。いつからか、常連客と取り巻きが騒がしいと感じるようになった。ある者は暴言を吐き散らかし、ある者は同じ言葉を繰り返し大声で喚く、ある者はインテリぶって社会に呪詛を唱えるマシーンになっているし、またある者は全然笑えないジョークばかりを言っている。共通点は取り巻きが囃し立てて、悪目立ちするということだけ。

 

僕は、最初からこうだったのだろうか?と疑問に思いながら居酒屋に通う。段々とムカムカするようになる。なんでこいつらは同じ話題やつまらない発言を大声で盛り上がれるのだろう。ちったあ静かにできんのだろうか?ここで自分が店を出て二度と来ない、というのが一つの選択肢としてあがる。何度か試しても見たけれど、この店の出す酒と肴は唯一無二である。そうしてストレスを貯めているんだか発散しているんだかわからない状態で足繁く通う。

 

ある時、客の一人がこそっと教えてくれた。

「棚に飾ってある銃はね、実は本物で店内でなら誰でも使っていいんですよ。あれは特別製で撃った客が粉々になって2度と姿を見せなくなるもんなんですよ。イライラしているなら使ってみてはいかがかな?」

 

「勘弁してくれよ、人殺しはできないよ」と僕が言う。

 

「大丈夫ですよ、主人に言ったら消した客を戻してくれますから」

 

主人をチラリと見ると無言でうなずく。

 

僕は試しに一番目立つ客を撃ち殺した。脳みそが飛び散り大量の血液が床に流れたが、しばらくすると消える。主人に戻せるかと聞くと、何もなかったかのように撃った客が元通りになって騒ぐ。

 

そうして次の日から、少しずつうるさい客を撃っていった。しばらくすると店内にノイズがないことに気づく。主人はもくもくと酒を提供し、広くなった店内のインテリアのセンスがキラリと光ることに感動する。程よい客数がリラックスさせる雰囲気を作っている。なんとこの店は、ほのかにクラシックのBGMさえ流れていたのだ!

 

再び感動が戻り、僕はまた心地よい空間として楽しめるようになりましたとさ。