フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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働かなくても食べていけるクソみたいな世界

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働かんでも生きていけたらいい、そういう世界があったら素晴らしいというものがある。そういう社会はダメ人間でも細々とやっていける尊厳ある社会だ、と。ロボットが人間の労働のすべてをやってくれる社会というのなら素晴らしい。ところが一部の貧者が言う労働からの開放ってのは「福祉のお世話になっている」と言われたくないが、ダメ人間の尊厳を100%守って受け入れた上で金までよこせ、という考え方だ。それがベーシックインカムに望まれたものであり、他者の尊厳を踏みにじる世界観であって僕は好きではない。

 

僕だって働かずに食えれば最高だと思うが、声高に言えないのは自分が労働から開放されたときに、他人の尊厳を一方的に踏みにじる側になるということがわかるからだ。詳しく説明しよう。

 

まず全労働がロボット化されたわけではないが、飯を食えるシステムができたとしよう。金持ちから税金をたらふく取るなどして働けない弱者に金を分配する。ところが労働そのものはなくならない。ゴミ収集車、発電所を動かす人々、自衛隊、市役所の受付などなど、労働者自体はたくさん必要だ。しかし都合よく働けないダメ人間のために金を配る社会になって、彼らはいろんな理由をつけて働かない。そして静かに暮らしていける。

 

彼らは何も提供しないしできないが、労働者たちが生んだ富とサービスは受け取るという。それが尊厳なのだと。彼らは慎ましやかに生きる。だが平身低頭して生きるわけではない。それはしたくないから生活保護以上のシステムを求めている。平等に配られてんだからバカにするんじゃねえ!と。彼らだって市役所の対応が遅ければイライラするし、漫画がつまらなければTwitterで批判する、計画停電などがあれば政治家は何をしているんだと吐き散らかす。そういう権利があるからだ。

 

人間社会は機能するために、不可欠な労働がたくさんある。資本家どもの下で生産する人が生み出した富で、労働から開放された人たちが、労働者の提供するサービスも受けて利益を二重に奪う社会だ。

 

尊厳を守られた上で働かなくても食っていける社会というのは、言い換えれば「労働者に一方的に文句を言える社会」だ。生きていれば小さな不平なぞいくらでもある。我々はつまらない労働に勤しんで税金を収めているからこそ、他の労働者に文句を言っても許されているところがある。労働を通じて文句を言われる側でもある。だが働かないでいるならば、一方的にサービスに不平を言える立場となる。理想なわけがない。

 

働かざる者食うべからずという言葉は人類の一つの到達点だ。一方的にもたれかかられると社会は維持できない。何でもいいから労働を提供しろ、というものだ。そしてお互いが何かを提供しなければならない社会から脱却するほど科学は進んでいない。

 

100年後でさえすべての労働がなくなる日は来ないかもしれない。そうであれば誰かが働いては社会の歯車を演じなければならない。ダメ人間だから労働は免除されて遠慮なく金までもらえるべきなどというのは、人道的どころか働く人々をバカにした考え方だ。働かなくても食べていける社会、というのは弱者救済などではなく、別の搾取階級の誕生といってもいいだろう。我々を生かす社会システムは自然発生しているわけではない。彼らが嫌がっている労働があるから成り立つ。少しでもいいから力を提供しないという考え方は受け入れられないし愚かな妄想じゃないか。

 

こう考えると、最優先すべきなのは労働者を働きやすくするためのアプローチであって労働の免除ではないだろうと思った。