フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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非日常に憧れていた

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漫画でも小説でも映画でもだいたい日常ではなく非日常の瞬間がフォーカスされるじゃないですか。ゾンビパニックでも船が座礁して沈むでも何でも。そういう物語の中で主人公とかヒロインの行動に感動して、こういう風な非日常やってこねえかなあーって。あるあるじゃないですか。

 

で、2020年にやってきた非日常が1年以上続いている感想は?

「クソっすね」

 

感染症爆発とかも映画ではマイナーにせよそこそこあるテーマなわけで。映画でかっこいいのはその危機に対処できる立場の人物がちゃんと対処するからであって、非日常が突然やってきても、モブキャラであるところの自分は結局はつまらない日常に取って代わるというだけだというね。

 

それどころか、以前の日常から自由や国家の予算が奪われるだけよりつまらなくなるという。これゴジラとか宇宙人襲来とかでも興奮するのは最初だけで、配給制になったり、当たり前に手に入っていたものが手に入らなくなって不便になって、しかも不可逆的であったりするともう絶望しかない。

 

一年続けると国家や社会に物見遊山で石を投げていた時代がいかに素晴らしいかがわかる。今なんて国家の選択肢が自分たちの生活に直結していることを感じられる。夜8時以降は店がコンビニとマクド以外空いてないし、昼でも酒が飲めないとかね。しかも絵的に映えるパンデミックじゃなくてね。人々が急にゾンビになるとか。そういうネットで見てたらおもしれえ!ってなるもんじゃなくて、感染したらただ家か病院で苦しむから、道端歩いても人少なくなったな、としか感じられない。まあ道頓堀のシャッター街化みたいなのはワクチン接種が進むと二度と見れないものになるかもしれない。

 

ただただちょっと生活が不便になって、貧乏な人が増えて、政府のクソムーブへの批判が強くなる社会の中で平凡な日常生活してますってね。

 

苦労のレベルは違うけれど1940年代に中年だった人も、早く昔のそこそこ自由だった頃に戻んねえかなって思っていたのかもしれないね。