フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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銀英伝を引用する人は信頼できない

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読むべきなんだろうと思って読んでない作品に銀河英雄伝説がある。ネットの特にオタクっぽい人たちがこの作品の名言やら思想やらを引き合いに出しまくるので存在は知っているが未だに読んでいない。

30年以上前の作品でここまで言及されるんだから名作なんだろうとは思う。だけど僕が読まないのは、銀英伝を例えに出す人たちが胡散臭いからだ。なんだかやな感じがするので読めないでいる。かといってwikiでサクッとすませるのも気が進まないのであらすじさえ知らない。

英伝について知っていることは、何か銀河で戦争しているらしいってことと、愚昧な政治家/軍人と優れた政治家が出てきて、いい感じの名言とか政治思想が出てくるらしいということだ。ブックマークでも度々言及されるのでそういうことはわかっているのだが、銀河がどうなったかはよく知らない。

コロナ禍で政治家が何かやらかすと、銀英伝のキャラがどうのこうのと言い出す人が散見されるので、何かフィットする物語なのだろうけど、ずっと胡散臭いなあと思ってきた。何が胡散臭いのか言語化しづらかったのだが、ちょっとできそうな気がしたのでまとめる。

 

■国民視点がまったくない

僕が銀英伝の結末を未だに知らずにいられるのは、引用者たちは名言・思想ばかり引用するが「だからどうなる」ということを言わないからだ。銀英伝内にも国家なり都市なりがあって、戦争の結果、国民がどうなるかということは書かれているだろうと予測できる。メタ的に考えると、ある勢力の破滅・植民地化もしくは劇的な講和で幕を閉じるといったところだ。名作で完結しているのなら、小競り合いのままグダグダで終幕ということはないだろう。なので主人公勢力が敵の勢力を滅ぼしたり倒したりして終わるのが結末といったものではないか。

 

「銀英伝に出てくるXXのようだ、だから日本の国民はYYのようになるだろう」みたいな引用のされ方を見たことがない。彼らの引用は、今生きる僕ら国民にとって何の関連もない無味乾燥なものなんじゃなかろうか、と思う。特に五輪関係がそうで、僕が想像するに、五輪後の日本社会というのは破滅とは程遠い退屈な日常、恐らく今の生活の延長が続くと考えている。劇的なカタストロフィもウイルスとの講和もないだろう。コロナ禍が戦争と例えられたりするが、僕は違うと思っている。

 

■例えが政治家に偏りすぎ

政治と国家を語るにおいて、政治家以外の要素はすごく重要だ。日本のコロナ死者数は2020年は世界最低クラス、経済マイナスはヨーロッパよりマシで東アジアでは最低レベルだが、トータルで真ん中ぐらいというわけで、良くも悪くもない。2021年の上半期もそれはあまり変わらないようで、感染者犠牲者は増えたが世界に比べて大幅にマシ。政治がいいとは思っていないけれど、文化的なものかあるいは遺伝的なものか、地政学的なものか、とにかく何らかの事情でそこまで悪い政治情勢ではないと言い切れる。銀英伝引用者は政治家についてばかり語るけれど、国家の趨勢の帰結というのは、政治家だけで決まるものではない。なので政治家キャラばかり引用されても片手落ちというか、視野狭窄だと思う。

 

■民主主義の軽視

日本国民は戦後ずっとお上任せと言われてきたが、令和の今でも継続中だ。民主主義の結果が政治家の質なので、政治家のレベルは日本の国民レベルといっていいと思う。この視点がすっぽり抜けて、腐敗政治の原因がどこにあるのか向き合おとしていないところがある。そこで銀英伝に出てくるらしい腐敗した政治家達を重ねたりするんだけれど、政治家に責任を押し付けているだけに見える。日本は割と国民が上に丸投げしていて、それが腐敗を生んでいると思っているが、責任も丸投げなので日本人が反省することはない。銀英伝には腐敗した政治家が国民たちの愚昧さによるものである、とは書かれていないのかもしれない。予測でしかないが、銀英伝は政治家や政治執行者が全てを左右するような書かれ方をしているんじゃなかろうか。だから引用者は政治家についてばかり例えたがる。現実は、少なくとも日本では政治家が決定をするに至るまでの過程と環境の方が重要だと僕は思っている。北朝鮮あたりだと軍事と政治執行者の影響が強いかもしれないが、日本では割と民主主義が機能している。五輪の強行だって日本国民的には、やるならやればいんじゃね?ぐらいのもんだろうし。戦争と違って犠牲者が高齢者に偏っていたりするし、ワクチン接種も進んでいて、補給面では太平洋戦争ほど悪くないと思っている。国民にはめちゃんこ金配っているし。

 

■まとめ

ようするに銀英伝は政治家軍人のストーリーみたいなので、そこにスポットライトがあたる。現実は特に民主主義先進国では政治家の選択に至る過程は世論圧力と、有権者の方向性に左右されるので、イケてる政治家がいい感じの政治判断をするというのがより難しくなる。フィクションではその複雑性をすっ飛ばすだろうし、政治判断はフリーハンドを与えられている事が多い。そうしないと小説としてつまらなくてストレスフルなものになってしまう。結果読んだ人は、小説のキャラを見ならえとでも言いたくなる脳みそになる。現実の政治では「イケてる政治判断」ができない状態でいることがほとんどで、それをさせているのが民主主義だったり、支持者の投票理由だったりするので、そこを解決しない内はフィクションのキャラのようにはいかないだろう。それらをすっ飛ばして、銀英伝で出てくるような~となってしまう人は、日本の置かれた立場や積み重ねの歴史を無視しがちなので信頼できないと断じていいと思った。少なくとも今は政治家がサクッとあらゆる関係を放棄して好きな決断するような時代でも国家でもない。

 

英伝は引用者達が政治家についてばかり言及するほど、政治ストーリーに魅力があるんだろうとは思う。一方で、広い視野に立って現実の前提条件を細かに見ようと思うほど教養的な本ではない、とも予測できる。英雄キャラばかり目立つわけだからキャラがよほど立っているんだろう。それに全てを重ねてしまうほど読者を愚かにしてしまう魅力ってには気になる。

 

愚昧な政治家には愚昧たらしめる環境の方が大きい、と僕は思うのだが、銀英伝を読めば実はちゃんと書いているのかもしれない。ただファンたちはそんなの無視して、キャラの表面をなぞって現実にまで当てはめようとしてしまっているだけということもあり得る。

 

その辺りは読んでから答え合わせをするしかなさそうだ