フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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見えすぎる世の中

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かつてテレビがない時は、民衆の情報源は新聞や本だったのだろうが、情報の伝播にはタイムラグがあった。そんなわけで市民の知る情報はせいぜい半径1kmの世界で完結していた。

 

ラジオができテレビが登場して、より遠くの街の情報が手に入るようになった。遠くに暮らす人々のライフスタイルが簡単に知れるようになって、流行と消費者社会が生まれて、そんで長い時間経ってインターネット、スマホの登場で、半径1kmにいる人達の間にさえ格差があって、貧乏と金持ちが残酷なほどに見えるようになった。

 

貧困格差だけじゃなくって、考え方が違ったり、精神病だったりストレスを抱えた人も可視化された。自分にとって大したことないと思ってたけど、ある人には物凄くストレスになっていたんだということもわかるようになった。くちゃらー、副流煙、人混み、騒音にいたるまで。

 

僕らはもっと見えなければ、鈍感でいられた。知ったところでどうにもならないことを大量に知れるようになってしまった。気にしないでいられればいいんだが、たまたま流れてきたtweetやらニュースやらメッセージで知ってしまうようになった。

しかもこの進歩は不可逆で、今更新聞と本の時代には戻れない。wifiは明らかに人権になったし、ネットのない生活は考えられない。

 

デトックスするには強固な意思でネットの接続をやめてしまうことだとわかっても、誰しもが気になってしまう。

 

解決策はなさそうだ。

 

■自分メモ

作業終りが見えてきている

これでいいのかと思う

答えが決まっていない問題は、正しい回答がわからない

だがやりきるしかない