フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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社会は変わらない

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なにか大きな事件が起きたとき、歴史と比べてことの重大性を強調したり、ここから世界がめちゃくちゃになるかのように語りたくなる人たちが多い。

 

若ければそういうこともあるのだけれど歳を重ねると「これ前も見たな」感が出てくる。直近で言えばコロナ騒動とかね。2人の感染者で大騒ぎしていた時期は遠くなり、今では全国数万も当たり前。ウイルスが変わったのか我々が変わったのか、人は環境に慣れていくものだということを実感した。

 

「激動の時代」という言葉をよく聞く。ほぼ毎年聞く。今生きているのは激動の時代ですよ、と。僕は冷静に考えて凪の時代だと思っている。幕末~明治維新や、1940年代あたりと比較すると、現代は平穏も平穏、安定も安定だと思う。社会はゆっくり変わっていくので今日何かが起こったから全てが一変してしまう、というのはないと思う。仮にそう見えたならもう何年も前から予兆や事例がたくさんあったはずだ。

 

スリランカではまさに政府が崩壊して、キレた民衆が向こうの国会議事堂みたいなのに突入していく動画を見た。同じ時代でも彼らは激動の時代を生きているだろうね。彼らの国をざっと調べると権力者に不正が横行していて、そのレベルは日本など比較にならない。予算がないから借りるあてを探したいが世界銀行IMFは借りた資金の監視が厳しく横流しができないので借金せず、審査の甘い中国から土地を担保にお金を借りる有様だった。いわゆる債務の罠なのだろうが、そもそも予算を適当に不正に使えると思っている国というのがあり、紅茶の名産地だが農薬など海外から買えるお金がなくなり、オーガニックに切り替えるとか言い出して生産性が落ち、観光収入が頼みだったのにコロナで打撃を受け、ガソリンさえ買えず3日も長蛇の列に並ぶような有様になり、そして破綻と暴動という流れだ。

 

一朝一夕で社会が終わるわけではない。予兆がずっとあって何年もひどい事態の末に決壊したのだ。だから元首相が暗殺されたからといってそれは社会の決壊を意味しない。しかしなにかの予兆には見えるかもしれない。アンチ安倍が当初望んでいたような、自民政治への反動や氷河期世代の貧困がどうとかそういうものではなく、宗教家庭に生まれて搾取された恨みからの、さらに様々な偶然と運の良さによって完遂したというようなストーリーがニュースから流れてきている。あまりにもspecificな事例なので一般化できず、これを持って「ぼくのかんがえるしゃかいのふまん」を表明するのは難しい。もし予兆があるとすれば宗教団体の暴虐が一部の家庭を蝕んでいるというのが白日にさらされ、もう少し規制が入るかもしれない、ということだろうか。この事件は政府や社会の破綻をもたらさない。むしろ社会問題の可視化によって良い効果が生まれるかもしれない。破滅の予兆ではないように思う。

 

大事なことはみんな忘れていくということだ。その前日に死んだ大金持ちの漫画家だって暗殺のインパクトによってあっという間に話題にならなくなった。60年ぶりの事態とかでこの件はもう少し世間を賑わすかもしれない。

 

世間の忘れっぽさは、太宰治の「人間失格」の最後の名分がふさわしいだろう

 

ただ、いっさいは過ぎていきます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来たいはゆる人間の世界において、たつた一つ、真理らしく思はれたのは、それだけでした