フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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何か書け

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年を取るスピードは早くなっているように思えるのに、その実感が誕生日以外にわかず、行動がおかしくなっている。例えば去年捨てた冬用のコートの購入した日は覚えていないが、たまたま残っていた写真などから判断するに2017年にはすでにあった。高級品ではなく3万円ぐらいのダウン風ジャケットだった。4年以上も使っていたのか?と気づいたわけだが、これが歳をとっていることに気づかないことではないだろうか。高校生のころの服を大学生になっても毎年使っていたら何となくおかしいことに気づく。汚れていたり流行りから遠かったり、誰かに指摘されたりする。僕はもはやそういう時の流れを意識するきっかけさえなくなっている。

 

Amazonの購入履歴を見ていると、こんなにも前に買ったものを未だに使っているのかよ!と思ったりもした。バスタオルなんてよれよれでボロボロのまま使っている。比較的新しいものも買い足しているんだけど、丈夫だから薄汚くなっても洗って使っていたりする。同居人もいないから捨てようよ、と提案されることもない。こういうのは意味のない老化、進歩のない日々を表している気がする。日用品でさえそうならば、他のことすべてがそうなっていてもおかしくない。

 

そこでタイトル、何か書け、ブログからもう遠ざかっているんだけど、やっぱり書くべきなんだと思った。時々振り返るために。何かしら書いていれば、最近何も新しいことしていないな、ということに気づける。書く瞬間に向き合える。

 

どうせ人生に意味がないのだから、何でも書いたらいいでしょう。

そんなことを思った。