フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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親父に似てきた

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子供のころ、自宅にいる親父の姿といえばテレビで野球のナイターを見ているか書斎で本を読む姿だった。野球は当時の僕にとってナイターの延長でアニメや音楽番組を中止に追いやる天敵だった。いつも野球を見ていたのだから野球少年になってもいいのだが、そうはならなかった。自室でいつも本を読むか、それ以外はテレビでナイター、もしくは歴史ドキュメンタリーばかり見ていたと思う。NHKのその時歴史は動いた、とかね。飲み仲間もおらず、というか友達自体ほとんどおらず、教育には無関心で当然家事もしない。いいところは省エネなところだ。ギャンブルはせず酒も少ししか飲まず、タバコも吸わない。子供ながらに人生楽しいのか?と思っていた。

 

ふとその時の親父は何歳だったか計算した。30代後半から40代。これが僕の小学生ごろの親父の年齢。僕は今年37歳になる。今頃、小さい子供が家の中を走ったり、戦隊モノに夢中になっていてもおかしくはなかったのだ。昔から好きではなかった野球を去年から見始めた。親父と同じ贔屓の阪神ファン。テレビはないが虎テレに加入すると本拠地の試合が見れる。仕事が終わる頃に、ナイトゲームが始まりベッドの上でダラダラと阪神戦を見ながらブラウジングしている。それ以外はSFの本や小難しい翻訳本を読んだりもする。結局こうなった。子供の頃の親父と同じくらいの年齢になって、親父と同じような生活をしている。

 

タバコは吸わない、ギャンブルはしない、酒は居酒屋に行ったときだけ飲む。晩酌はしない。友達付き合いは少ししかない。結婚した奴らもいるし、段々と面倒になり自分から付き合いを遠ざけている。親父に似てきた。そう思った。

 

今年はホテル暮らしをしていて、播州赤穂、京都河原町、そして石川金沢で過ごしている。自由人に思えるだろうが、自分の部屋でゆっくり過ごしたいと強く思うようになった。来月は大阪に帰る。僕は子供の頃の無気力そうな親父がそうだったように、こじんまりとした生活を心が求めているようだ。これが加齢ってやつなんだろう。抵抗する気持ちもなくはないが、精神の奥底が安定して退屈なルーティンを求めているのを感じる。

 

そろそろ人生の実質的な終わりが見えたような虚しさを覚えた夜だった。