個人的に2つめのエントリは釣りだと思っている。まずはじめに筆者は未婚、独身男性、子供もおらず離婚経験もないので、このエントリで書くことは自分を不利にするだろう。
子無しの社会保障ゼロになっても「子供を持たなくて良かった」と言えるか
ある日、政治家がこう言うとする
「日本の社会保障と年金は子供がたくさんいる前提でした。それができなくなったので今後、子供を持たない男女の社会保障はカットします」
「子供や家庭を持たなくてよかった」とは言えなくなるだろう。僕も独身だから子供のいない自由が素晴らしいことはわかる。それはあくまで社会保障が平等に担保されているからだ。
「子供がいないから自由時間は山程あります!だけど病院へ行ったら負担率100%で年金は支払いも受け取りもなくなり、老後は全部自分の貯金で何とかするしかありません!」
この状況になれば子供のいない自由と社会保障ゼロを天秤にかけることになり、独身である僕の意見も変わるかもしれない。
社会問題を端的に説明する。日本の医療保険と年金は国民のほとんどが結婚をし子供を持つ前提で作られている。しかし、その前提の結婚と出産が減ったので維持できない。増税と国債乱発で何とか形を保っている。
これはみんなよく知っている問題だ。そして表面化しつつあるのが、前提が破綻した制度にフリーライドしている人々の存在である。僕のような子無し独身と、現在の高齢者だ。
こういうと社会分断だのなんだのという人がいるが、システムの前提が維持不能な条件で利益だけを提供しているんだから、フリーライド批判をされて当然である。そして分断があるとすれば、先にその原因を作ったのが今の高齢世代と支持された政治家なんだから仕方ない。
はっきり言って、子供のいない自由を謳歌できるのは、なんだかんだで子供をもって世話する家庭がいるからであって、それがゼロに近づけば人権だなんだと言っても社会保障は破綻するだろう。それが近づいているのは政治家も官僚も理解している。
少なからず、増税という形で子持ち優遇にシフトしているが、本願は独身者たちの社会保障カットだと思う。財務省が頭を抱える問題は子供がいない人たちに社会保障を同じぐらい提供しているからであって、それをカットできれば子供など少なくても多くてもどっちだっていいのだ。
結婚できないのではない。「理想の結婚」ができないのだ
結婚なんてでいない!相手がいない!などという意見もある。僕も表向きはそう言っている。だがその気になれば、相手を選り好みしなければできるとも思っている。世の中にはブサイクで愛嬌もない、低収入や病気持ちの愛されない男女はたくさんいるので、真剣に結婚したいと思って誰でもいいとなったら、まあ大体の人はできる。ろくでもないのと結婚するぐらいなら結婚しない、という男女が僕含めてたくさんいるだけでしかない。
昭和の世ではアル中DVおじさんから発達障害のメンヘラおばさんまで結婚していたのだ。実に人口の97%が結婚していた時代はたしかにあった。それは世間体の圧力のおかげではあるが。そんなわけで、結婚できない、というのはいいわけでしかない。理想的な結婚ができない、は真実であろう。
今の未婚男女は相手を選んでいるというのも真実だろうと思う。美貌や収入を気にしなければ結婚できる人は多い。独身者たちの社会保障を軒並みカットすれば意識も変わっていくかもしれない。
「年金の味」と同様に「国債が担保する独身フリーダム」もある
年金生活者が格安メニューを飲食店で提供していることを「年金の味」という。子無しのフリーダムを楽しめるのは国債乱発のおかげだろう。「国債が担保する独身フリーダム」だ。どこまで国債発行が可能かはわからないが、今のところ増税と兼用で医療年金システムをカバーしている。財務省も政治家も増税に限界があるのは理解しているので、どこかで「国債が担保する独身フリーダム」に手を加えるかもしれない。というか時間の問題だと思う。今ある日本の社会問題の一番でかい部分は、国民皆保険や年金を独身者にも格安で提供していることなので、そこに制限を加えれば財政は改善する。
僕のような子無しフリーダムをエンジョイできるのも果たしていつまでか、ちょっとわからないが「子供を持たなくて良かった!」という声がデカければデカいほど早まるだろうなあ、と考えている。
もちろんその日が来ても仕方がないと思う。