ベストセラーだし、はてブロでも紹介されまくっているのでご存知かもしれない。
ひとまずビッグウェーブに乗る気で読んでみた。
丁寧に考えればその通りっていうようなことを書き連ねている。読み物としてとてもおもしろい。
僕がこの作品ですごくいいと思ったのはその例え話や挿入小話である。
例えばバブルについて古い話が記述されていたりする。
ミシシッピ会社は途方もない富と無限の機会が待っているかのような噂を広めた。フランスの貴族、実業家、都市に暮らす愚鈍な中産階級の人々がこの夢物語に引っかかり、ミシシッピ会社株は天井知らずに跳ね上がった。売り出し価格は一株五〇〇リーブルだった。それが、一七一九年八月一日には二七五〇リーブルで取引された。八月三〇日には、四一〇〇リーブルの値がつき、九月四日には五〇〇〇リーブルにまで上がった。一二月二日には、ミシシッピ会社の株価は一万リーブルの大台に乗った。高揚感がパリの街を吹き抜けた。人々はミシシッピ会社株を買うために全財産を売り払い、多額の借金をした。誰もが楽々富を手にする方法を見つけたと信じていた。数日後、恐慌が始まった。投機家のなかに、株価が実態をまったく反映しておらず、維持不可能だと気づいた者が出たのだ。彼らは、最高値のうちに株を売ったほうがいいと判断した。購入できる株の供給量が増えるにつれて、価格は下落していった。他の投資家たちも、株価が下がっているのに気づくと、すぐさま手放そうとした。株価はさらに下がり、暴落が起こった。価格を安定させるために、総裁ジョン・ローの指示に従ってフランスの中央銀行はミシシッピ会社株を買い支えたが、自ずと限度があった。ついには資金が尽きてしまった。この事態に至ったとき、財務総監、つまり同じジョン・ローは、株を買い続けるためにさらに紙幣を印刷する許可を与えた。その結果、フランスの金融界全体がバブルに巻き込まれた。そしてこの財政の魔術を用いてさえ、窮地を脱することはできなかった。ミシシッピ会社株の値は一万リーブルから一〇〇〇リーブルまで下がり、それから完全に価値を失い、株は紙くず同然になった。
これはオランダに代わりなぜイギリスが世界の覇者になりフランスはなれなかったかを説明するときに、当時のフランスの金融リテラシーのなさ、政策失敗について書いたものだが、今でもよくある話だし歴史が繰り返していることがわかる。
ハッとさせられる話もある。
ここ数年、各国の政府と中央銀行は狂ったように紙幣を濫発してきた。現在の経済危機が経済成長を止めてしまうのではないかと、誰もが戦々恐々としている。だから政府と中央銀行は何兆ものドル、ユーロ、円を何もないところから生み出し、薄っぺらな信用を金融システムに注ぎ込みながら、バブルが弾ける前に、科学者や技術者やエンジニアが何かとんでもなく大きな成果を生み出してのけることを願っている。すべては研究室にいる人々頼みなのだ。バイオテクノロジーやナノテクノロジーといった分野で新しい発見がなされれば、まったく新しい産業がいくつも生まれるだろう。そしてそこからもたらされる利益が、政府や中央銀行が二〇〇八年以来発行してきた何兆ドルもの「見せかけの」お金を支えてくれるだろう。だが、もしバブルが弾ける前にさまざまな研究室がこうした期待に応えることができなければ、私たちは非常に厳しい時代へと向かうことになる。
これはまさしく日本の2012年以降の政策について当てはまる。他の国でも同じようなことが行われているのだろうが、これが事実なら日本の未来はやはり暗いのかもしれない。
中国が清朝末期になぜ崩壊していったのかという記述の最中、日本の例外性についても触れている。
日本が例外的に一九世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。
歴史を学ぶ意義についても端的に切れ味良く表現している。
歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
この本を読むことで得られることは多い。
まず歴史の大まかな流れを知ることができる。
その次に社会に対してのものの見方を健全に変えてくれる。
この2つはサピエンス全史を読む上での大きなメリットと言えるのではなかろうか。
想像上の秩序から逃れる方法はない。監獄の壁を打ち壊して自由に向かって脱出したとき、じつは私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。
こういったフレーズや
アメリカ人は毎年、世界の他の地域の飢えた人全員を養うのに必要とされる以上の金額をダイエット食品に費やす。肥満は消費主義にとって二重の勝利だ。食べる量を減らせば経済は縮小するが、人々そうする代わりに食べ過ぎ、その挙句、減量用の製品などを買い、経済成長に二重に貢献しているからだ。
自分が飲食しているもののもとであるニワトリや牛やブタの運命について、立ち止まって考えることは稀だ。また、しばしば考える人は、そのような動物はじつは機械とほとんど変わらず、感覚も感情も、苦しむ能力もないと主張する。皮肉にも、私たちの「牛乳製造機械」や「卵製造機械」を形作るまさにその科学の諸分野が最近、哺乳類や鳥類には複雑な感覚構造と感情構造があることを、合理的な疑いを差し挟む余地がないほどまで立証した。彼らは身体的苦痛を感じるだけでなく、感情的苦痛も被りうるのだ。