フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

PR

営業になりたくないと思ったから

PR

コンビニから買い物して帰る途中、70歳前後と思われる白髪でヨボヨボのお爺さんが牛乳だかヤクルトだかの訪問販売をしているところに遭遇した。僕の近所は土地持ちの金持ちが何人も住んでいて、豪邸とまではいかないがガレージつきの大きい一軒家が何軒もある。そのうちの一つにお爺さんは訪問販売していたのだが、試供品の提供さえ断られていた。自宅の裏手には昔からの長屋みたいな狭い一軒家が所狭しと並んでいたりするが、そちらには営業さえしないかもしれないなあ。このご時世配達の牛乳を飲むなんてなかなかなさそうだ。

 

白髪のお爺さんはどう考えても50歳代ではないし、80歳と言われても違和感のない風貌だ。そんな人が訪問販売をする理由は察せる。僕はコロナ禍の不況で財布の紐が固い世間の中で営業や販売をする人々を見ると辛い気持ちになる。

 

社会人をはじめて15年は経つが、ずっと思ってきたことは営業の仕事をしたくないということだ。彼らは口八丁で物を売ったり、サポートをしたり、交渉をしたりするが、そこには振る舞いとかコミュニケーション能力が必須だ。僕にはそれが欠けることを知っているので、プログラマを経て個人ビジネスに切り替えた。

 

プログラマが営業とは無縁というわけではないが、あの丁々発止のやり取りをする機会はかなり少ない。そうして個人でビジネスを始めるにあたっても、限りなく人と接触しないでいいようなものを売るというスタイルで始めた。

 

金を儲ける人というのはバイタリティがあって、手段を選ばないというか、こだわりみたいなものがない気がするのだ。いつでも何でも売りまっせ、だ。僕は金よりも自由がほしい。金があれば自由になるが、金を儲けるためにしがらみの中で生きることが嫌で仕方がない。敏腕営業マンはしがらみの塊だ。フラッと海外で誰とも会わない生活をするなんてできないだろう。世話になった人や、モノを売った相手、これから売るものや場所から離れられない。5年前に会ったきりの人からコンタクトが来たら、飛んでいかなければならない。そうやって機会を逃さないのが敏腕だと思うがどうだろうか。

 

何れにせよ僕がやりたいこととは真逆だ。物を売るときは、機械の代理店を使う。要するにAmazonApp Storeのようなもののことだ。これはほとんどネット上の手続きだけで完結する。宣伝は無料でできそうなTwitterでやってもいいだろうし、金をかけるならGoogle Adsの出稿側にまわってもいい。

 

その結果、とても儲かるということはないかもしれないが、人付き合いやコミュニケーションのコストをほとんど払わないビジネスモデルでやっていくことができる。売るものも対面サポートが必要なものではなく、できる限り遠隔で対処できるものがいい。

 

先月発売する予定だった商品のクオリティやボリュームを上げるため伸び伸びになっていた。今週には完成させる、と言いながらもう末である。ようやく仕上げて発売までこぎつけた。それまでブログは書かないぞと思いながら作業をしていた。これで予想以下の売上だったらどうしようと心配している。一応次の手は考えている。僕が10年も付き合ってきたプログラミングってやつを利用する手だ。

 

だから今electronを勉強し始めたりしている。人間相手の営業を頑張るぐらいだったらプログラミングをしこしこする方がよっぽど精神衛生上良い。

 

世の営業マン達は鬱にもならず、精神崩壊もせず仕事しているなんて超人だと思う。売上のことを考えたとき、営業とかしないといけないのかあ、なんて考えてしまうのが辛い。