フェミニズムや女性の役割からの開放だとかいう論議を見て思ったことがある。議論の中でのテクノロジー発展の歴史の軽視だ。価値観のアップデートをしろ、という言葉を見るたびに、価値観のアップデートに対する過大評価をしているのだろうなあ、と思う。
「おばあさんは川へ洗濯に」という桃太郎の有名なフレーズがあるが、そう遠くない昔、川に洗濯に行くのは女性の労働であった。彼女たちの役割だったのだ。いつから現代人は川に洗濯しに行かなくなったのだろうか?どのタイミングで「価値観のアップデート」がなされたのだろうか?
こう問われると、大半の人は答えられるだろう。
「川に洗濯に行かないで済むのは洗濯機が発明されたからですよ」
別の人はこう言うかもしれない
「上下水道の整備が進んで川に行かなくても水が利用できるようになったんですよ」
僕らはすでにテクノロジーのアップデートで古来からの男女の役割が消失している歴史を知っている。当たり前すぎて忘れてしまっているが。
「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた」という有名な民謡の歌詞がある。そう遠くない昔、やはり服を縫ったり補修することは女性の役割だった。しかし今それらは趣味の範囲であって服はシーズンごとに買うものだ。
いつのまに手編みの服や補修作業が女性の役割から外されたのだろうか。何年前に「価値観のアップデート」が行われたのか?
「ミシンなどが発展して、自動化され、服は工場で量産されるものになりました」
「繊維産業の発展により丈夫で長持ちし、安い繊維が機械でつくられるようになりました」
つまり女性の役割を減らしてきたのはテクノロジーの発展ありきであり「価値観のアップデート」ではない。そしてそれは何も女性の役割だけではなく男性の役割も減らしてきた。
🎞️字幕:フェミニストや社会学者が好んで使う「有害な男らしさ(toxic masculinity)」というフレーズ。
— 🇺🇸Blah💬 (@yousayblah) 2021年12月7日
ラディカルサヨクの天敵とも言われる、カナダの心理学者ジョーダン・ピーターソンが感情をあらわに語る、有名な一幕。 pic.twitter.com/Nevpsuoprg
少し前にバズったtweetで男たちが命がけでインフラを維持している、というものがあった。これは昔からそういう力仕事は男たちのものであったのだが、この役割も徐々に開放されつつある。
例えばショベルカーなどの掘削機械が直接穴を掘る作業を減らした。工事現場で行われる力仕事の役割を緩和している。あるいは男女平等に立ちはだかる兵役という業務があるが、これも無人ドローン兵器の登場で、鍛えられたパイロットではなくオフィスからのコントローラで爆撃可能となった。
もちろん今でも工事現場は男たちがメインであり力仕事ばかりだ。戦争に行くのもほとんどは男性だろう。ただしテクノロジーの発展がその役割を少しずつ奪っていっているという明白な根拠はいくらでもある。今後、それらのテクノロジーがより男性しかできない役割を減らしていくだろうと思う。
つまるところ男女の役割の開放はまずもってテクノロジーの発展が不可欠なのだ。今でもインドやアフリカの貧しい地域では女性が川に水を汲みに行っている。そういった作業のために教育が進まない。しかしそういった場所にいって、水汲みが女性の役割なのはおかしい、価値観をアップデートせよ、といっても通じないだろう。そうはいっても集落を持続し、今日を生きるにはそれをするしかないのだから。もし上下水道を整備する力があれば、川から水を引くパイプがあれば、つまりテクノロジーがあれば、きっと解決する問題だろう。
■現代の文系ヒステリー
先進国でもそれは同様の問題を抱えている。なぜ女性ばかりが介護を押し付けられているのか。なぜ子育ては女性ばかりがせざるを得ないのか。フェミニズムは価値観のアップデートを促し、負担の分担を説く。思った以上に進まない現実に苛立ちさえ覚え、さらに攻撃は続く。
根本的な問題として、子育てや介護の自動化がなされていない、ということがあげられる。テクノロジーの進歩により子育てや介護工場ができれば、不平はなくなるだろう。今や洗濯は機械が勝手にしてくれる、皿洗いや掃除機さえも自動化されており、それらを女性の役割だという人は見かけなくなった。料理も、かなりの部分は冷凍食品や缶詰などで簡略化されている。
そうして女性の役割は少しずつ消えていっている。残ったのが介護子育て、そして性の分野ということだ。これらも想像する限りテクノロジーの進歩で解決可能である。とりわけ性の分野については、気づいてないかもしれないが女性の役割は減っている。男性が描いたエロ本やエロゲがそれを担い、かつてないほど恋人の居ない若者は増えている。一部のポルノ動画で満足し、結婚も恋人づくりもめんどうだと思う男性は増え続けているし、実際に婚姻は減り、独身者は増える一方だ。
性的なイラストに攻撃が向くこともあろうが、まさしくその性的な想像上の女性が役割を減じているのだ。結婚しない男女が増えているということは、性の役割から開放されている女性がいるということだ。もちろんセクハラやレイプ痴漢なども犯罪は存在する。だがかつてないほど安全になり続けているのも実感できているのではないか。
どこまで倫理が許されるかはわからないが、女性そっくりのアンドロイドが開発されれば、現実の女性に対する暴力は露骨に減るだろう。彼女らは役割を終えて、過去の女性の役割はすべて開発された理想のロボットが担うことになる。これは男性もまた同じである。ターミネーターがいれば戦場に行くこともないのだ。
現在のフェミニズムというのはテクノロジーの進歩よりも早く社会へアプローチしている。根源的な解決が不能であるため摩擦が走る。
男女の役割が分かれているのは集落維持のための名残にすぎない。そしてお互いが分かれて担当することは効率的なのだ。筋力に優れた男が力仕事をし、力がいらない作業を女性が担当してきた、というだけだ。
テクノロジーの発展なくして、これを解決しようとすると、社会の反発と分断を招き非効率な割にエネルギーと金ばかりかかる事態になる。というかすでに陥っている。洗濯機や食洗機の発明が反発なくして浸透したように、残された男女の役割もテクノロジーに投資することで解決するだろうと思う。
そのために必要なのは工学や情報工学を学んだ知的階級であり、社会学や心理学の分野ではないだろう。どれだけ議論しても男女問題のスムーズな解決は不能で、分断を招くのみだ。だが国民総科学者になれば、子育て介護、性処理の自動化、機械化、人に依存しないスタイルが生み出されるのは早くなる。
我々は価値観のアップデートを叫ぶ前に、テクノロジーのアップデートを急ぐべきなのだろうと思う。なのでフェミニズムを実現したいなら、たくさんの科学者を女性から出せば良い。そして面倒なことはすべて機械に押し付けるといいだろう