フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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フィクションで良い日本政治が描けなくなった世界線

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小説とか映画とかのフィクションで日本政治は、何やかんやで希望を持った展開が描かれた気がする。ぱっと思いついたのはシン・ゴジラかわぐちかいじの作品とかも官僚は優秀で、政治家のトップ層は腹黒いが根回しがうまく優れたところがある、みたいな内容が多かったと思う。カイジでおなじみの福本作品でも政治家がバカではないかのような描写だったし。

 

日本人の好きなエピソードに危機的な状況を打破する日本政治とその組織、あるいは日本人そのものというのがあると思う。一昔前に流行った下町ロケットとか、倍返しの半沢直樹とかもそう。危機が訪れる、腹黒な奴らが悪事を働くけれど、苦心しつつも主人公が誠実さを持って対処して、最後は日本もまだまだ捨てたもんじゃないよ、ちゃんちゃん、と。

 

そういうフィクションが通じたのは2020年までで、実際はいかなる危機であっても日本政治機構は自己保身と利権回しを旨とし、決して主人公属性を持った存在はいないということが嫌というほどわかってしまった。

 

問題なのはフィクションを描く側ではなくて、鑑賞する我々のほうが変化したということだ。コロナ以前であれば、まあご都合主義でもフィクションだし愉しめばいいよね、というふうに感じれたのが、今後はどのような展開を描いても、ストーリー上うまくいけばいくほど、現実と乖離しすぎていて、こんな政府いるわけねえだろうがバカにしてんのか、という感想が強くなりすぎるように思う。

 

どう考えたって勤勉さも誠実さもない三権ですよ。検察をテーマに巨悪に切り込むみたいなん今から描くこと無理でしょ。優秀な官僚は長時間労働と忖度に潰されてて、クビにならないようにルールを捻じ曲げる作業ばかりしていて、逆らう官僚はいませんでした。それどころか長らく政治家の利権フォローの共犯になりすぎて、今更政治家批判もできないという。

 

そんで国民はというと高齢者まみれで、現実直視ができないからyoutuberあたりの陰謀論に振り回されてたりして草も生えない。日本の陰謀論じゃなくてアメリカの陰謀論を信じるとか嫌ソレなんのご利益があるのよ。民間を見ると企業は業績不振のリスクヘッジに政府に近づいてここぞと中抜ビジネスに精を出すし、研究者は予算がないからただただ疲弊して沈黙する。やっぱり税金からわずかばかりの予算がほしいから政府批判は控えてビクビクしているし、政府の強権に殴られると為す術もない。

 

政治家ってどれだけ国民の前でカッコつけるか、というのがある種の義務だと思うんだけれど取り繕うことさえなくなったからね。ドイツ首相とかニューヨーク知事とか演説だけって馬鹿にされるんだけど、裏では悪人でも美辞麗句を並べるからこそ、フィクションでも使えるギミックになるし、どれだけボロボロでも理想論ぐらいは並べてくれよってのが人情だと思う。ところが日本の政治家はそれをしなくても一部の強固な国民が支持をして、一般市民は投票にも行かないから選挙に勝てる、というのが20年代初頭の日本なわけよ。

 

シン・ゴジラなんて当時でも何か希望的観測すぎたのに、今見返したら失笑もんだからね。上の高齢指導者たちが全滅したら官僚組織と若手によって危機を救うみたいな。ぜーったいねえわってはっきり言えるようになってしまった。悲しいけど。

 

なので今まで作られた危機を乗り切る系の日本政治組織が出てくるフィクションって、全てが古臭くて馬鹿らしく見えるようになってしまったし、今後作家たちは同じようなことに悩むんだと思う。

 

列島危機からのピンチを処理するというストーリーは描きづらいだろうなあ。どれだけ理由づけしても、コロナ禍における日本政治を経験すると、100年に1度の一大事でさえ、ひたすら自分たちの私腹を肥やして、テレビの前で意味不明な答弁をするか、ほぼ無視を決め込むのを見ちゃってるからね。フィクションでも立派な演説をする日本の政治家を出した時点で白けてしまう。そんなカッコいい政治家いるわけないだろうがって突っ込まれてしまう。

 

官僚は優秀という神話も長らくあったけれど、人事権さえ握られると何も言わないヘボ官僚だってバレちゃった。何の利益もないのに政治家の利権に協力的とか、正真正銘のマヌケじゃん?部下が自殺に追いやられても上の政治家に仕返しするという動きさえないというのがリアルだったという。

 

さらには対立する政治家を失脚させる手続きでさえ捏造して水増して簡単に露見するわ、リーダーは被害者アピールで協力者を切り捨てようとする。そういう人たちが愛国者を名乗るっていうコメディ。

 

現実はありとあらゆる角度から見てダサいっていうね。カッコいいところが何一つない。だからフィクションを作りづらくなったと思う。なんだかんだ最後は問題を解決するからストーリーになりカタルシスがあるんだけれど、それをしちゃうと現実と比較して虚しさが増す。だからといってどんな登場人物も空回りして自己中心的だと楽しくない。

 

そんなわけで、今後はリーダシップを必要とする政治ストーリーはウケなくなるんじゃないかなあ。だって物語に巧みな政治組織とかでてきたら、馬鹿にしないでいられないでしょう?作者はリアルの何をみているのか、と。