フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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シン・エヴァンゲリオン劇場版 平凡なエンディングに感謝だ

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四半世紀渡って大人気作品だったエヴァもついに完結。昼夜逆転生活の僕も、初日の朝7時半から梅田で見てきた。ほとんど席は埋まっていた。

 

エヴァというものは僕のような90年代に幼少期を過ごした男に影響があった。小学生のころ水槽に浮かぶ綾波をテレビで見たときの感想は「なんだこのアニメ」でしかなかった。いとこがハマっていて、残酷な天使のテーゼをカラオケで歌っていた記憶がある。

 

僕自身は特に思い入れが無いものの、TV版と旧劇場はTSUTAYAでレンタルしてみたし、序破Qも映画館で見た。ただそれ以上ははまり込んでいないし、1度ずつしか見ていない。

 

正直いうと、破とかQあたりですでに、オタクのエヴァ特別視にイライラし始めていた。スマホ登場以来は、いたるところでコラボ商品が目に入るようになったし、ゲンドウのひげ剃りにいたるまで商品化されていた。資本主義の犬っぽい感じと、年食ったオタクの特別視のミスマッチが滑稽に思えた。

 

エヴァの特別感はいわゆるノストラダムスの大予言が熱気を持っていた世紀末の雰囲気ありきの物語だ。21世紀に入ってしばらくはそれも良かった。エヴァが切り開いた世界観があらゆる物語で流用され始めると陳腐化したし、特にツンデレキャラ+無口美少女という構成はいくらでもラノベやアニメで使わえて、ツンデレに至っては再利用されすぎて飽きられて今や絶滅危惧種になった。この20年間で!

 

本当に終わるのか半信半疑であったけど、シン・エヴァンゲリオンはちゃんと終わらせるという大役を果たした。映画としてもわかりやすく作られて、考察の余地で煙に巻くということはなかった。説明過多と指摘されるように、初心者やうろ覚えの観客も置いてかないという気持ちを感じた。個人的には素晴らしいと思った。

 

ネットの感想を見ると、たくさんの思い入れを持ったファンたちが酷評していたりするが、僕は彼らがあまりにも近視眼的になっているし狂信者に見える。エヴァはたしかに90年代の空気を完全可視化した金字塔アニメではあるが、少なくとも2010年代にはその寿命が消えていたと思う。あの世界は時代にフィットしなくなっていたと言い切っていい。

 

エヴァはもっと早くに終わるべきだったという意見もたくさん見た。それは正しいと思う。エヴァが今の時代を生きている若者を啓蒙しながら続くべき作品だとは思わない。普遍性よりも当時のライブ感があっての作品だ。シン・エヴァンゲリオンにも出てきたシンジ君が父親に渡すカセットテープ(!)のウォークマンがそれを証明している。

 

2020年代にも入ってスマホさえ出せないということが、エヴァの世界の遅延を見せつける。我々のような少なくとも30代半ば以降の人たちには飲み込めても若者には刺さらないだろう。

 

庵野監督が落ち着いたと、老人になったと言う人もいるが、僕は彼がクリエイターとして老害化していないことを証明した作品だと思う。ようするに年食ったオタクと違って、彼は古くなった物語に拡張性がないことをちゃんと悟っていたのだ。エヴァは古い物語で、これ以上新しいことを作中で表現できるほどの余地がないことを理解していた。そのため平凡な物語としての落とし所を形にしたのだろうと思う。

 

携帯がまだ子供が持てない代物だった90年代、ストリーミングサービスがなくカセットテープにラジオやレンタルCDを録音していた90年代、そこに生きたキッズ達がエヴァの主人公だ。ネット常時接続のが当たり前になった今の子供達にはその設定が難しいものになっていると思う。

 

裏宇宙で巨大槍を生成することができる、空母がミサイル化するようなテクノロジー世界にウォークマンと電柱。人間世界の建造物は90年代のままに、過剰テクノロジーが実在するというのが、若い人にはバカバカしいだろうなあと思った。

 

庵野エヴァで何か新しいことを表現できるだろ!ってのは無茶振りだし、過剰な期待なのだ。これはもうおっさんおばさんの限定の物語で、次世代へつながるものではない。それに気づいているのが監督だった。

 

わざわざアスカとケンケンをくっつけたり、マリとシンジは掘り下げられていないのに恋人化(?)するのか、というような底意地の悪さを感じさせる点も、近視眼的になったファンを現実に戻すにはちょうどいいかもしれない。メルカリにはアスカのフィギュアが大量に出品されたりもしているが、まさしく狙い通りということだろう。

 

90年代ごろには特別だった物語が時間を経て、資本主義の道具に成り下がり、やがて使い古されたストーリーになって、賞味期限を迎えたところで平凡なエンディング、これがエヴァが紡いだ25年なのだ。

 

なんてことはないよくある筋書きではないか。マーベルやディズニーやガンダムと違って代替わりで資本主義との完全な同化ができなかったという点に違いはあるが。

 

もっと違う形があったはずだと批判するオタクな人たちは、エヴァではなく自分の思春期の神格化をしているということだと思う。僕らの思春期を平凡なエンディングに落とさないでくれ、と。だが我々の年代はとっくの昔に、若さを失って責任と大人な振る舞いを求めらている。

 

ウジウジしてはならないので、シン・エヴァンゲリオンの中盤以降のシンジ君のように背負って前に進むときなのだ、というようなメッセージ性を感じた。

 

この平凡なエンディングで幕を閉じた物語はきっとポジティブな意味がある