フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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90年代の魔力は子供だから楽しめた

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増田の投稿に90年代幼少期を過ごした自分も語りたくなった

90年代後半には何かがあったんだよ

 

当事者としては90年代後半の青春時代はクソ

 

この2つの対象的なエントリはまさしく年代がその思い出を分断してるんだと思う

僕個人は上の増田がいう90年代の魔力が懐かしいと思っているタイプだ

 

一番の理由は生活のことを心配する必要のない子供時代だったからだ。90年代初めは幼稚園児で小学校卒業する頃に90年代が終わろうとしていた自分にとっては下の増田のいうデートだとかなんだとかは視界になかった。僕と同年代の人々はマスコミを憎んでいないのではないだろうか。

 

90年代の魔力はまさしく今とは比べ物にならないほどの力を持ったTVとマスコミが作り上げたものだ。当時のTVコンテンツはなんだかんだで金がかかっていて、フリーダムで規制も緩く、ワクワクした。学校でしこたま遊んで帰ってきたら大金かけて作られたTV番組が見れる。しかも無料だ。

 

例えば、「アメリカ横断ウルトラクイズ」ってのがあって、小さい僕はこれが好きだった。福留さんというフリーアナウンサーが、ニューヨークへ行きたいかぁ!の掛け声で始める大衆参加型のクイズ番組。でかい会場に参加者を集めてふるいにかけて、勝ち残った人たちをアメリカにつれてってクイズバトルさせるという金のかかったクイズ番組だ。視聴率がその当時としてはイマイチだったからか92年を最後に毎年開催は幕を閉じたのだが、こういう金のかかった恐ろしいコンテンツが結構あった。

 

今ではポリコレ棒で叩かれガチなダウンタウンも、何でもありのコントを披露していた。ゴレンジャイというコントでは浜田が篠原涼子の乳を(ほぼ毎回)揉みまくっていて、youtubeなんかでも見ることができる。今はなき志村けんも上半身裸の女性をコントにだしていた。ゴールデンタイムだ。

 

やたらと恋愛思考のトレンディドラマが流行っていて、タイアップされたヒットソングはみんなが歌えて一体感があった。キムタクドラマなんか視聴率30%超え連発だったし、国民的な流行りがそこかしこにあった。これは子供にとってみると退屈しない時代だったのだ。学校ではみんなが同じ話題ができたんだし。

 

ゲーム文化も猛スピードで進歩してて、マリオからFFドラクエポケモンに至るまで毎年何かしら楽しめるコンテンツが大量に出現した。スーファミからゲームボーイ、プレステ、たまごっちのようなおもちゃに至るまで、いくらでもあったんだな。ジャンプ漫画がめちゃくちゃ流行ってて、ごっこ遊びのネタも尽きない。少女漫画を少年たちも読んでいた。姉や妹がもっているからだ。

 

社会的にはオウムや震災やらで暗いと言われがちだが、麻原しょーこーマーチもただのポップでナンセンスな歌に過ぎなかった。震災の被害も直撃を受けてないと悲壮感がなかったし。大人たちがてんやわんやしている姿は子供にとって面白おかしいものなのだ。

 

99年に世界が滅びるというノストラダムスの大予言が社会の中心にあったような。誰もがなんとなく何かが起こるみたいな期待があった。もちろん何も起きないって大人はわかっていたんだろうが、ある種のクリスマスのライトアップみたいなものだったんだろうね。

 

社会は大らかだった。僕は5歳ぐらいには一人で家の近所を散策していた記憶があるし、大阪の工場街住みだったので工場と工場の間を友だちと探検したりもしていた。今ではネグレクトとか言われるのかもしれないね。公園には地球回しと呼ばれる、今思うと危険な遊具もあったし、砂場は塀で囲われていなかった。砂場の中に犬の糞があったりしたのだ。ガキどもはやんちゃで子供の手のひらぐらいの小さい石を投げられてぶつけられたこともある。幼稚園の頃、友達と放棄された雑草の生えた土地で、拾ったライターで草に火をつけるみたいなことをした。それを見ていた近所の人に大声で怒られた。今そこは駐車場になっている。幼稚園児だけで近所をウロウロしていたんだなあ。

 

その当時の魔力の正体は、規制がまだまだ足りない社会のカオスっぷりのようなものなのかもしれない。大人が作った制作費潤沢なコンテンツを無規制で楽しめた上に、将来の心配などというものはあまり考えなくても良かったのだ。子供は割りとほったらかしにされていた。今ほど監視社会でもない。朝のアニメにキン肉マンが放送されて、学校でプロレス技のかけあいをしたり、その内ケンカごっこという、顔面と金的なしの殴り合いが流行った。刃牙かよ。PTAで会議になった。小学校で休み時間になると殴り合う。どうなってんだ、と。

 

ネットがなかったからかヤラセ番組を真剣に見れた。心霊番組、UFO、ガチンコファイト・クラブ。ニュース番組は色々と暗かったみたいだけれど子供には関係のない話だった。そして文化は底抜けに明るかった。

「おどるポンポコリン」に始まり「LOVEマシーン」で〆られるような、とても明るい曲が流行った。ビジュアル系が流行してGLAYが20万人も野外で集めてライブしたり、なんせ耳目を集める話題がいくらでも毎日のようにあって、しかもポジティブだったのだ。

 

アニメも「クレヨンしんちゃん」「北斗の拳」みたいにエログロナンセンス。ブサイクいじりからデブハゲ、オカマをネタにしたものまで無軌道そのものだった。これは嫌な記憶だった人がいるのもわかる。「クレヨンしんちゃん」なんて脱色されて、今じゃケツだけ星人をやらなくなったと聞いている。「ドラえもん」のしずかちゃんお風呂シーンも大分前になくなったそうな。

 

子供にとって規制されない大人のコンテンツというのはおもちゃ箱のようなものだ。おもちゃ箱をひっくり返したようなエンタメ社会が退屈なわけがない。そして同じエンタメをみんなが知っている時代で、同じように楽しんでいた。おおよそ大多数は。

多数派に所属していたなら、これほど浮かれ気分になれる時代もなかったのかもしれない。もちろん不況が近づいてきたのだから、当時の大学生だとかサラリーマンだとかはのっぴきならない事態の人もいたのだろうけれど。

 

広告代理店とTV局が右へ倣えの大号令をかけて、それが通じた時代だった。その催眠術のお陰で、毎日がハッピーでいられたように思う。今の時代のように細分化されて四方八方に気遣いをしなければならないということもなかった。

 

端的に頭がパッパラパーだったのだろう。社会全体がパッパラパーなところがあった。その後の20年はずいぶんと真面目でクリーンルームのような社会になっていっている気がする。SNSは閉じたグループを作って、共通の話題も少なくなった。昨今有名なyoutuberとて若者しか知らないということもよくある。鬼滅の刃みたいな世代を横断した話題は90年代はいくらでもあったのだ。そりゃあ楽しかろう。

 

国家まるごとエンタメというのが90年代の魔力の正体だ。それが企業に作られたものだとしても、カオスでハッピーな最後の時代を実現していたように思う。

 

多分この先、そのような日々は二度と来ないだろうけれど