フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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手取り20万でどうやって暮らせというのか

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10年に一度というべき想定外のデカい出費が重なった結果、1ヶ月20万で暮らさねばならなくなった。遠い昔、自分がまだ20歳になったばかりの頃、正社員だった会社の給料が19万、税金を差っ引かれて16万弱ぐらいだったと記憶している。バイト生活が終わった後だったので、こんなにももらえるなら早く会社員になっていたほうが良かったと感動した記憶がある。当時は実家ぐらしだったのが大きかったかもしれないが。

 

とにかく先月から20万で予算を立てて暮らしてきたのだが精神が蝕まれた。20万と言っても、家賃だの光熱費だのはその中から引く。手元に残るのなんて10万円を切る。

 

まずエンジニアの高収入に任せて無駄金を使ってきたわけだが、とくにフル外食という生活が牙を剥く。低収入の人々はいの一番に自炊能力を磨く必要がある。自分もそれをわかってチャレンジしたことはあるが、なぜ時間をかけて自分のまずい飯を食べにゃあならんのかと思ってからはフル外食。自炊で片付けや生ゴミ捨てをするなんての馬鹿げたことだ。問題の先送りをしてきた自分は、手取り20万では暮らせないという事実を突きつけられた。

 

余り行くことのなかった歩いて5分のスーパーで見切り惣菜を買う。腹に貯まれば何でもいいし味も悪くないが、この「見切り品を購入する」という行為がキツい。独身で子供もいない中年男が割引商品を購入し続けるためにスーパー惣菜コーナーにたたずむのはちょっとしんどい行為だ。昨今のインフレで割引されても、なかなか値段がするんだな、などと感じる。

 

500円のを3食買ったとして1500円。30日で45000円。手持ち資金の半分が食費。朝は食べないが、実際のところ2食で800円ずつぐらいは使う。500円の弁当はやや物足りない。昼の休憩時間に割引はされてないので定価で買うしかないが、いつも行く定食屋はもっと高い。今まで値段など気にしていなかったのだが。

 

これはいかんと色々と腹を膨らます方法を考える。米を炊いて200円ぐらいのカップ麺が最も安上がりだ。だが健康に悪いし、何より貧乏生活を中年になってでも強いられている感じが強烈に精神に悪い。心のなかで今月だけだし、来月売上が入れば贅沢できる、で誤魔化していたのだが、大幅な出費で極貧生活に追い込まれたという事実が脳裏に焼き付く。

 

最近考えているのは親が高齢期に入っていて、後10年後には認知症だの寝たきりだのの心配も増えてくることだった。今から自炊をしろと言われても、調味料を揃えるのも金がかかるし、来月からは自炊しない毎日になるだろうと考えると億劫になった。今まで何度も期限切れの調味料を捨ててきた。だがしかし、やはりいるのか自炊スキル?仕事のあとだらっとして頭を回復させたいのに自炊して生ゴミやら片付けのことを考えるのか。急に将来が不安になった。

 

とりわけフル外食で浪費してきた癖は急には抜けず、間食だの喫茶店だのに入ることはやめられず、残り4日を4000円で暮らす。クレカは使いすぎるから持たないようにしているし、定期預金の解約手続きとかそういうバランスを崩すのは生活崩壊への一歩なのでしない。

 

今月は姪っ子に会おうとも言わなかった。奢ってやれる金がないからだ。姉は僕が裕福だと思っている。今月限りだから我慢できるが、今後月収20万になったらどうするんだろうと思った。そういう日が来るかもしれない。自分はもう中年で勢いだけでなんとかなる歳でもなく、貧困が許される若さがない。若いと貧困でも仕方ないね、という空気感が社会にも同年代にもある。だが独身中年の貧困は悲壮感がある。死が近い年齢でもないから余計にキツさがある。

 

今月だけだからOKとうそぶきながら、生活費のほとんどを食費に使ってしまった。自分が惨めだと感じる食生活でさえ維持できない。他にトラブルがなかったからいいものの、水道が壊れたり、PCが壊れたり、突発的な病気になったらという不安がよぎる。もちろん大型バイクの維持やちょっとした旅行などもっての外だ。仕事、食事、散歩に行く以外をしておらず11月は辛いものがあった。12月も少々節約をして、バランスを崩した生活費事情をもとに戻さないといけないのだが、本当に精神に来る。適当かつ怠惰な浪費で幸せを感じていたわけで、それがなくなると精神的にくるものがある。

 

これが手取り20万の世界?嘘だろ、という久々の実体験。年がら年中こういう手取り出やっている人も多いと聞く。想像がつかない。安い食材でプロレベルの料理を作れるなら惨めっぽくはならないのかもしれんが。

 

急に将来が不安になり世界が暗くなった11月だった。